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私の生きがい Quality of life

作業療法士は、みんなのQOLを知りたい!

QOL(Quality Of Life)は人生の質、生活の質、生命の質と訳されます。生活、人生、生命をいきいき輝かせるためには、‘自分らしく生きる’ことが必要です。

しかし不運な事故や病気によって‘自分らしさ’を発揮できない方もいます。我々作業療法士は、そのような方々へ‘自分らしさ’をもう一度感じていただくための支援を行います。ですから作業療法士は、十人十色の‘自分らしさ’を発見、尊重することが大切なのです。

このページでは、エネルギッシュにQOLを輝かせている方を紹介しています。

あなたのQOLってなんですか?

最近の記事

yamaguchi bass 山口大輔さん

今回の主人公は、コントラバスの修理職人・山口大輔さんです。コントラバスは修理を繰り返されながら、人間の寿命
よりもはるかに長い年月使われているものがあるそうです。一般的な考え方では、壊れたもの・修理されたものの価
値は低下します。しかし、楽器の世界では、壊れても丁寧に修理されているものは、それだけ人間に愛されたものとし
て価値を評価されることがあるそうです。山口さんと話していると「情緒的価値観」そんな言葉の大切さを再認識する
ことができます。



 良く手入れされて大切に使われている物は、見ているだけで楽しいものです。
楽器も同じです。物は物でしかないですが、注がれた愛情は自ずと現れ出てくるのでは
ないでしょうか。
 楽器の修理やセットアップの仕事は小さな作業の積み重ねです。全体の構図があるのは大前提ですが、細部の完成度が低いと結局全体に影響を与えるように思います。剥がれた継ぎ目に溜まった汚れを少しずつ取り除いたり、パーツがお互いに正確に密着するように削り合わせる作業をひとつずつ進めます。木を削るとか、部品を綺麗にするという作業自体を好きになることが求められる仕事かもしれません。

 工房にこもって、日がな楽器と対峙していると、世の中と遠く離れてしまったような気がすることがあります。小さなパーツの重箱の隅をつつくような作業をしているうちに日が暮れてくると、そんな気がしていました。コントラバスは楽器としては大きいですが、楽器のパーツを隙間なく合わせるためには、細かな作業が必要になります。ほんのわずかずつ木を削っている時、指の先ほどの広さの場所が私の仕事場です。集中が高まるほど、細かい作業になるほど、仕事場は小さくなっていき、世の中の事は忘れていきます。後にこの楽器を修理する人以外は、誰も見る事のない場所ですが、結局このような作業の積み重ねが無ければ、全体のクオリティは高くなりません。最終的に演奏家がこの楽器を弾く時に大きな影響があります。
 演奏家は歓びを込めて楽器を弾き、演奏会に来たお客さんが聞きます。世の中から離れ、小さな仕事場に閉じこもっていても、仕上がった楽器を通じて、私もまた、その多くのお客さんと繋がっていると言えるのではないでしょうか。どのような仕事でも似たような関係があると思います。ともかく指先ほどの場所が、世の中に対して開いた私の窓です。

 指の怪我で入院する事になり、作業療法の存在を初めて知りました。最初の病院での経過が良くなかった事もあり、楽器はもう弾けないかも知れないと思っていました。楽器を修理してセットアップするのが私の仕事ですから、曲は弾けなくても、音が出せれば十分なのかもしれません。しかし、ある程度には弾けないと、演奏家の要求を体で感じることが難しくなります。
 入院されている周りの方は、当たり前のことながら、ごく普通の方々でした。それぞれに怪我や問題を抱えて入院されています。驚いたのは、それらの方々の明るく前向きな姿勢でした。もちろんそうでない方もいらっしゃるとは思いますが、皆さん前向きで力強い
という印象を受けました。単にそう見えただけかもしれませんが、私には衝撃でした。思わぬ怪我やアクシデントで入院されているのに、なぜ人に対して優しく振舞えるのか。明るく笑えるのか。あるいはなぜ私にはそうみえたのでしょうか。私も他の人からはそう見
えたのでしょうか。
 怪我等でハンデを負う事は、何かから孤立する事のように考えていました。私の場合は、楽器や仕事から引き離されたような感じがしていました。回復すれば、それなりに出来るのかもしれないけども、もう以前と同じ状態にはならないのだから、今まで積み重ねてきたことは無駄になったのだと思いました。私の窓は閉じられてしまったと。

 作業療法を行う部屋では、沢山の方々が訓練に取り組んでおられました。それらの方の姿を始めて拝見した時、世の中にはこんなに素晴らしい所があるのだと知りました。恐らくは、苦痛を伴うはずの訓練に向かう方々と、それを導きサポートする方々の集団がそこにあるというだけで、十分な説得力がありました。
 もちろん元に戻った方が良いけれど、ひょっとすると元に戻らなくても、良いのかもしれない。受け入れる事で得られるものもあるかもしれない。完璧が良いけれど、完璧じゃなくても良い。世界は完全を求めているように思えるけれど、完全じゃないものを許容しているようにも思える。ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲* も知りました。

 コントラバスという一つの種類の楽器でも、それぞれの楽器には個性があります。明るい音の楽器、暗い音の楽器、反応の良い楽器、なかなか鳴りださない楽器、全く同じものはありません。それぞれに時間を経て楽器として成熟していきます。200年からの時間が必要です。途中で大きく壊れた経歴のある楽器もあります。人が使う道具ですから、大小の差はあれ、故障は必ず起こります。それらの故障は無かった事には出来ません。しかし、それら全てを含んで今の楽器の姿があり音があります。私の窓も同じようなものなのかもしれません。
(注*)フランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875 - 1937)の、左手のためのピアノ協奏曲ニ長調は、戦争で右手を失っ
たピアニストの依頼で作曲された。

固定リンク | 2011年01月08日【7】

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