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作業療法士ファイル

同じ作業療法士でも、作業療法士になろうと思ったきっかけや職業感、興味を持っていることは様々。作業療法士の生の声を感じてください。

最近の記事

作業療法士ファイル28 介護老人保健施設 みずほ 笠掛慎二さん(宮崎県立小林秀峰高等学校卒)

私は、小林市の医療法人養気会・介護老人保健施設みずほに勤務しています。
 私が作業療法士を目指したのは、祖母が脳梗塞で倒れ施設に入所し、元気が無くなっていく祖母に何かできないかなと思ったときに高校の授業で作業療法士という言葉を知りました。
祖母は、裁縫や編み物が好きだった為、好きだったことをリハビリで活かすことが出来れば元気な祖母に戻るのではないかと思い作業療法士を目指すことを決めました。しかし、祖母が高校三年の冬に他界し、目標が無いまま専門学校に入学する形になりました。
 専門学校では、勉強の毎日でした。実習でも、中々上手く行かず「辞めたい」と思うことが沢山ありましたが、担当患者様や利用者様の「ありがとう」や「頑張ってね」という言葉に元気をいただきました。専門学校入学時は目標が無かった私ですが、実習を通して「祖母に出来なかった分、他にリハビリを必要としている方に提供し、元気になってほしい」という目標を持つことが出来ました。その後は何とか勉強や実習を乗り越え作業療法士になることが出来ました。
 四月に就職してからは、学生の時とは違う責任感を感じたり、分からない事が多く悩みや戸惑いの毎日でした。しかし、報・連・相を行うことで職場の皆さんから優しく教えていただく事ができました。また、担当利用者様やご家族様から「ありがとう」や「ここに来てから良くなっています」などの感謝の言葉をいただく度に元気とやる気をいただき、今では毎日楽しく仕事をすることが出来ています。
 現代社会では高齢者の数が増え、介護を必要としている方が沢山いる状態です。私たちの仕事はリハビリを必要としている方への支援だけではないと思っています。元気な方が元気なままで過ごせるように予防をすることも私たちの仕事だと私は感じています。現在は職場内でのリハビリしか提供できていませんが、今後は地域に幅を広げていけるように頑張っていきたいと思います。そして、職場・地域の皆様から信頼されるような作業療法士になりたいと思います。

固定リンク | 2018年01月21日【29】

作業療法ファイル27 NPO法人 宮崎障害者雇用支援センターキャリアアシスト宮崎 二ノ宮 純さん

初めまして。私は宮崎市にある、特定非営利活動法人「宮崎障害者雇用支援センター」に勤めています。当センターは、障がい福祉サービス事業所として、就労移行支援(JOBコーチ支援含む)、自立訓練、相談支援の3つの事業を展開しており、私は就労移行支援事業で職業指導員を担当しています。主に10代から30代の発達障害・知的障害の方たちが、一般企業への就労を目指して職業準備訓練に励んでいます。
支援の内容は、施設内での摸擬的な作業の訓練から、求職活動、職場実習、就職後の職場での支援と幅広く多岐に亘ります。じっくりと面談を繰り返し、一人一人に合わせた支援内容を組み立てていきます。

〇作業療法士を目指したきっかけ
私は元々県外で全く畑違いの仕事(技術職)をしていました。真夏でも長袖の作業着を着、汗やオイル、木屑にまみれ、施設の点検や修繕に取り組む日々でした。きっかけは、知り合いの介護福祉士の方と話をしていた時。なぜ介護福祉士を目指したのか、その動機を尋ねてみたのです。答えは「人の心と触れ合う仕事がしたかったから」というものでした。日頃“モノ”に向き合って仕事をしていた自分にとって、人の心と触れ合うとはどういうことか分からず、その時は表面的な同調を示したに過ぎませんでした。しかしそれから数年間、折に触れてはその言葉が思い起こされます。作業療法士という職業があることは以前から知っていましたが、色々と調べていく内に、私はこの仕事にその意義を見出せるのではないかと、転職を決意するに至りました。

〇就労支援の道を選んだワケ
動機自体はシンプルです。私自身が手に職を持っていたことと、多趣味で色々とやっていたので、それを有効に活用できないかと思ったことでした。また、ボランティアで出会ったとある地域活動支援センターで、障害がありながらも生き生きと働く方々の姿を見て、改めて社会参加の重要性を感じたことも、気持ちの後押しとなりました。
今の職場には、私以外に作業療法士はいません。そもそも宮崎県全体で見ても、就労支援に係る事業所に勤務している作業療法士は数える程しかいません。このことに全く怖気付かなかったわけではありませんが、それ以上に挑戦したいとの気持ちの方が強かったのです。

○目指す作業療法士像
私は、前職の仕事が大好きでした。天職だったと思っています。今の仕事も天職だと思っています。多分他にもあると思います。天職って、一つだけではないんですね。当時は(今も?)仕事ばかりの偏ったライフバランスではありましたが、仕事が上達していく事や、そのことで周りから認められることに喜びを感じていましたし、給料を得て、そのお金で好きなものを食べたり、好きな所へ出かけたりして、やりたい放題、大いに人生を楽しんでいました。今思い返せば、主観的QOLの高い生活を送れていたのだろうと感じます。
そう思えばこそ、「就労」はゴールではなく、始まり、或いは通過点であると捉えなければならない。就労を含めたこれからの生活・人生をどのように充足させていくのか、先を見据えた包括的な支援のあり方を模索し実践していく事が支援者の使命であると思うのです。
とはいえ、仕事をする事の意義は何か、人生の価値や楽しみを何処に求めるのかは人それぞれでありますから、自分の経験や価値観の押しつけにならないよう、常に自分を客観視し振り返る姿勢も必要です。障害当事者の方にとっては、職業に就く事それ自体が自己実現の機会にもなり得るのですから、一人一人の立場と目的へ歩調を合わせた支援が出来るように心がけていきたいです。

最後に。障害者雇用情勢における働き方の多様性は、その広がり、スピード共に目覚ましいものがあります。障害者差別禁止法による合理的配慮の提供義務、就労定着支援の新規創設、法定雇用率の引き上げ・・・etc、年々、障害者雇用を取り巻く状況に追い風が吹いてきています。今、職業リハビリテーションが熱い!是非、多くの作業療法士、または学生の方々が、この領域に興味を持って飛び込んできてくれることを願っています。

固定リンク | 2018年01月08日【28】

作業療法士ファイル26 鶴田病院 渡邊智美さん(宮崎県立高鍋高等学校)

私は、西都市の医療法人隆徳会・鶴田病院に勤務しています。
 私が作業療法士を目指したのは、姉の看護師として働く姿を見て、医療職に興味を持ったのがきっかけです。自分の適性を探るうちに、作業療法士にたどりつきました。患者様の不自由さや痛みを軽減し、辛い気持ちにも寄り添えるような作業療法士になりたいと思い始めたのです。
 専門学校では、勉強漬けの毎日でした。三年次の実習では、何度も心が折れそうになりました。しかし、今は夢を叶えるための通過点だと考え、何とか無事に乗り切って、作業療法士のヒヨコになることができました。
 四月に奉職してからは、慣れない環境に戸惑ったり、自分の未熟さを痛感する毎日でした。果たして、自分は正式な作業療法士を名乗ってよいのかと考え込んだ日もあります。しかし、ある日、患者様から「渡邊さんのおかげで楽になっています。ありがとう。」という言葉をいただきました。ハッとしました。患者様方はヒヨコであろうとなかろうと、担当の私を頼りにしていてくださるのだと気がついたからです。
 学生時代の「作業療法士になる」という夢は今、「確かな技術を身につけた作業療法士になること」にシフトしています。温かく見守ってくださっている先輩方にアドバイスをいただきながら、経験を積み、一日でも早く職場に貢献できる作業療法士になりたいと考えています。

固定リンク | 2017年11月08日【27】

作業療法士ファイル25 共立病院 金海 令奈さん(宮崎県立高鍋高等学校卒)

私は、延岡市にある共立病院で勤務しています。私はこの病院で、身体障害分野の急性期から回復期までの脳血管疾患や整形外科疾患、難病など様々な疾患の方を担当させて頂いています。
私が作業療法士を目指したきっかけは、病気の影響で身の周りの事ができなくなった祖母が、リハビリを通して少しずつ自分で身の周りの事ができるようになり、笑顔を取り戻していき、そんな祖母を見て私は、「リハビリってすごいな。自分も誰かを笑顔にできるリハビリをしたい。」と思い、作業療法士を目指しました。
現在、就職して半年が過ぎました。患者様に作業療法を提供する中で私が理想とすることは、「患者様を笑顔にできるリハビリ」を提供することです。しかし、この半年間を振り返ると、経験も知識・技術もまだまだ未熟である私は、自分自身のことで精一杯でした。そんな中でも、患者様について考える事や患者様を想う気持ちは先輩方にも負けないくらい頑張ろうと思っていました。そんな私に、女性の患者様から訓練中に「ありがとう」と言う言葉をかけて頂く機会がありました。その言葉を聞き「もっと努力しよう」「頑張ろう」と自分のやる気に繋がりました。これからも患者様からの「ありがとう」の言葉を励みに自分が理想とする作業療法士になれるよう、先輩方のアドバイスや勉強会等に参加し、日々精進していきたいと思っています。

固定リンク | 2017年10月13日【26】

作業療法士ファイル24 谷口病院 吉永賢矢さん

私は日南市にある谷口病院の重度認知症患者デイケアに所属しています。
作業療法士を目指したきっかけは高校時に就職試験に失敗したのが始まりでした。看護師である姉から作業療法士を進められ、その時に初めてその存在を知り入学を決めた時が作業療法士との出会いでした。
入学してからの勉学は想像よりも難易度が高く、元々勉強が苦手だった私は「作業療法士になれるのか。」と何度も問い詰める日々でした。しかしその環境下でひたすらもがく内に作業療法士の魅力に惹かれて自ら勉学に没頭する様にもなり、今ではこの道を進んだ事が正しかったと確信しています。
 今の職場では認知症を患った方々を対象としており、関わり方については今でも模索して自分なりの答えを探しています。入社した当時は普段利用者様同士で話している会話と私との会話では明らかに表情や会話の内容に違いを感じました。初対面という立場や医療従事者という圧迫感を知らない間にかけていたと考えた私は、『傾聴の姿勢で対応することを意識し、対象者の気持ちや訴えを聞きだす事を会話の目的の主とする。』事を心掛ける様にしました。今では当時の自分ではききだすことができなかった話しをきけるようになり、より人間像を深く捉えられるようになったと感じています。
 作業療法士は勿論の事ですが人間性の面において学生生活ではみつけることができなかった様々な短所が次から次へとみつかっていきます。短所がみつかる内は自分にまだ成長の余地があると思いますので今後もより精進し、いずれは胸を張って作業療法士といえる様になりたいです。

固定リンク | 2017年10月06日【25】

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